旧車は奥が深い

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鬼押出し」か? ココもよく通るけど実際に行ったのは1度だけ、しかも20年前位か? 誰か?鬼押出しの鬼を押した事がある強者はいるのかな?って アホいえ!いるワケ無いだろ。。。な・・・
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ここからはマジメなお話しでございますが 鬼押出し園を調べてみるとただ鬼押し出しの岩肌を見るだけじゃ無く 火山博物館や公園、キャンプ場 そしてバイクの旧車が展示されている「浅間記念館」もあり そこに展示されているバイクは「真の旧車好き」で無いと 半分以上は解らないバイクかもしれませんね? 由緒のある旧車愛好家の集まりなので。 ココでカワサキZ1やホンダドリームCB750も 展示されているときもあるみたいですが やはり「旧車」とはメッキタンクにニーグリップのタンクラバーだろ?と 思う方も沢山いるかもしれません。 例えば?masaru号のカワサキZ1は近年では雑誌でよく取り上げて人気もあり その後に続く現行車達の規範となるバイクの代表格だろうけど ココの記念館にあるバイク達は バイク創世記に通じる旧車も多く展示されておりますから 4気筒車は新型と扱われる位とてもディ~プな世界ではあるのでしょうね? 普通のバイク乗りはわからん世界でも奥の深いバイク観を持つためには? 温故知新の精神で見るだけでも相当な価値はあると思いますよね。 我が国の創世記には戦後沢山のバイクメーカーが乱立しそして淘汰されていった。 特に国産車の創世記は独自のノウハウが無く ホンダはドイツのNSUとイタリア車から ヤマハとスズキはドイツのDKWとアドラーから カワサキはイギリスのビリアスとBSAからノウハウを吸収し 後の「国産」に展開して行くのですが 当時の運輸省に海外メーカーとの競争力を高める為 政府主導の統廃合を余儀なくされた小規模なメーカーも沢山あった (スカイラインプリンス自動車が日産に吸収合併も同じ) 普段聞いたことの無いメーカーがチャンスがあれば 見ることは出来るかも知れませんよ?
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ココの記念館の代表車種であろう 当時の三共製薬の子会社の三共内燃機が ハーレーダビッドソン国産化した陸王号の最後のモデル '1960RX750のプロトタイプが展示されておりますが 陸王モーターサイクルの経営不振を挽回する為に開発したモノで 当時の最新技術が投入されヘッド形式はサイドバルブからOHVに サスもリジットからスイングアーム式を採用しているのが大きな特徴で 残念ながら同年1960年に このモデルを生産する事無く三共内燃機は倒産したのです。 幸いにもスクラップにされずに残った車体を一生懸命にレストアした 貴重なモノなのでしょう。 企業の起死回生として川崎重工業に当てはめると? Z1が値すると思いますがカワサキ最大の輸出国である北米で W&マッハシリーズの高速巡航での不快な?振動による 販売不振を巻き返す為に当時の最新技術を惜しみなく投入し 後に起こるであろうパワー競争を予想し排気量UPで応戦する事を 想定され開発されたエンジン設計も背水の陣でつくられたヒストリーは この陸王と同様だと思われます。 そしてカワサキは二輪事業部を撤退させる事無く Z1のセールス成功で現在に至る事はご存じの方も多いと思いますが こうした博物館や濃ぃ~旧車を好む世界では 例えば川崎重工業のバイクの場合バイクメーカーとしては後発メーカーであり カワサキW1より歴史的な価値観でバイクを見れば 吸収前のカワサキの前身となる明発工業や目黒製作所のメグロのセニア スタミナやジュニアのほうが今では希少車になるのは旧車の世界でしょう。 そしてココの展示車は「浅間ミーティングクラブ」の方々のご尽力で お互いの車両を持ち出して毎年車種を入れ替えて展示しているらしいので ソレもスゴイ事で頭が下がります、沢山の旧車をお持ちなのでしょう。 メーカーの博物館と違い手作り感覚な博物館だと思うので こぢんまりしているだろうから来客数も普段は一日一組だろうか? サイクルショーみたいなモノを期待してはいけない アレは商業目的なので鮮やかで華があるのは当然である 金が掛かっているのだから。 金の力が全てみたいなSHOWUPされたモノもアリだが 金だけじゃムリな事も旧車には沢山ある。 今年も5月の終わりに確か?63回目の浅間ミーティングが 開催されたみたいですが私も見てみたいと思うイベントの一つであり 参加するならバーチカルツインとかで覗かしてもらいたい その空気感に合っているのでイイかも知れませんね。 ※ココ鬼押し出し(浅間火山レース)について調べてみました。 天明3年(1783)の浅間山大爆発によって噴き出された 幅3km距離12kmにわたる溶岩の凝結地帯で園の中心は 厄よけ観音堂があり爆発で被災死亡した人々の霊を慰めるため 上野寛永寺別院として建立されたもの。 鬼押し出しの名は火口で鬼が暴れ岩を押し出したと言う 当時の人が見た噴火の印象が由来。 噴火の激しさを今に伝える景観は世界3大奇勝の一つに数えられ 浅間高原の随一の名勝地となっている。 日本のオートバイレース発祥の地がここの浅間である。 日本国内には10を超えるオートバイメーカーが存在し 当時の日本のオートバイの生産品質は英国やドイツには遠く及ばなく レースを開催することで生産技術の向上にレース開催したのが理由。 第1回レースは浅間山麓周辺の公道を閉鎖して行われ 当然不整地のオールダート。 この浅間牧場の周辺を利用して浅間火山レース(1955~1959年)が 行われ先ほどの海外メーカー競争力が無いメーカーや この浅間で勝てないメーカーは後に次々に淘汰され ホンダ、ヤマハ、スズキ、メグロカワサキ)がしのぎを削り バイク王国日本の礎となり最後に残った現在の4メーカーに集約された事も 現在のバイクメーカーの歴史でもある。 浅間から世界一のオートバイ開発力と世界に通用する レーシングライダーも生まれ後に4輪レース界で活躍される 高橋国光や氏星野一義氏もこの浅間火山レースから巣立って行ったのは 有名な話である。