あれから12年この想い伝えたいんやっ!
阪神・淡路大震災があれから12年経ちました。 1995年1月17日午前5時46分兵庫県・淡路島の北側沖の地下16キロを震源に発生し マグニチュード(M)7・3震度7を記録し地震名は兵庫県南部地震です。 兵庫県内を中心に死者6434人負傷者約4万人全半壊25万棟全半焼約7000棟の被害を出し ライフラインの被害はピーク時停電約260万戸ガス供給停止約86万戸水道断水約130万戸 電話不通30万回線超だったとの事で21世紀半ばにも発生することが心配されており 次のプレート境界型巨大地震、東南海・南海地震の前に西日本に訪れる直下型大地震頻発期が 阪神・淡路大震災で始まったとされ、国による巨大地震対策開始の契機となったのも言うまでも無く 地震が起きる度に今でも神戸周辺の方は過剰にドキッとする方も少なくないと思われます。 私もこの震災が起きた当時に姫路の山陽道のSAで仮眠をとっておりましたので明け方この 激しい揺れ!いや!衝撃で最初はトラックがぶつけられたのか!?と思うくらいに感じ その後大騒ぎで今でもその後の悲惨さは忘れることはございません。 残念ながら私の仕事仲間も神戸市民で震災に遭い大阪や姫路へ転居した方や 不運にもお亡くなりになった方もいらっしゃいますしその仲間から生々しい話も聞きましたから 尚更頭の中で焼き付いており復興は表向きは終わったかに見えますが 心の復興は生涯無いと思われます。 しかし残念ながらこういう災害、事件や事故は月日が流れれば風化の一途を辿り次から次へと 世間の話題は移り変わって行きますよね?私は一年前にもこの震災を バイクネタに絡めUPしましたがこうした被災.事故.事件の被害や復興支援やみたいな事は お祭り騒ぎで飽きて終ればあとは知らん!みたいな事はタチの悪い 芸能週刊誌のネタ的に取り上げみたいであり空虚感だけが残る様な事をしてはいけないし まして掲載側だけが注目を浴びるのではなく協力した皆が主人公になれる様な 企画やフォローをすべきであるとも思います。 ブログでも救済や盗難、バトン等を自分のエゴで盛り上げておきながら 相手への気配り不足で巻き込まれたログ友さん達がお気の毒と思われる企画や ネタ回覧等も時々お見受けしますがその辺はセンスを問いたいですね。 まぁ~そんな時だけ媚びを売って来る様な方とのお付き合いは断りなのでどうでもイイですが こういう犠牲者が出た災害等を忘れていけないモノは細々でも 思い続ける事が大事と思いますので来年もこのブログを続けていればまた この震災に関わった以上これから先も入れるでしょうし書き続けて行きますし この思いは持ち続けて行くでしょう。 また地震災害だけではなく経済的な支援活動のやり方に他意も中傷もありませんが 意見、疑問として何故?海外の被災援助等にあれだけの支援やお金も含む 力が集まるのにこの国内で生活苦等で困って自殺する方々が国内で年間3万人もいる現状に 目を向けないのか?その辺の支援をこの国(国民は)はどうなっているのか? 一日本人としていつも疑問であり他国より自国だろ?と思うところがあるんですよ!? 私自身も大きな事は出来ませんがマナーやモラル思いやり等を発揮出来る事は 日常に沢山あるハズなのにこんなご時世で気持ちに余裕が無い方が多いので 「譲る気持ちや許す気持ちが生まれない」傾向もあり勉学は別に自己主張が 上手くできたモノのみ「勝ち組」と賞されてその背景やサクセスはどんなに汚い やり方でもイイのは何処かの大国の真似事じゃないかな?とも思いますので 古き良き日本人が持つ独特の「粋」を全然感じませんし自己主張を勘違いした 「逆ギレ」って言葉この頃無かったですよね?「生まれっぱなし」の成人が多すぎだから こういう言葉で片づけられてしまい巡り巡って自分にツケが来るのに それに気付かないのだろうか?自分の思うとおりやり散らかせば楽ですからね。 でもね~他人様の落ちたモノをちょいと拾ってあげるとか電車で席を譲るとか クルマの進路を譲る、逆にされたら感謝する様なコミュニケーションは 何処に行ってしまったのか?譲り合いの文化から自己主張の文化へ この震災の頃から政治も含め振り返ると大きく変化してきた世の中に「欧米かっ!」って 突っ込みたくなるmasaruなのでした。 最後に被災された方々へこの場を借り激励させて頂きたいと同時に兵庫県と言えば 言わずと知れたカワサキ党の総本山が神戸市内の東川崎町と 明石市川崎町(タコだけじゃ無い!)もございますので新車販売も含め がんばって頂きたいと思います!ZZR1400の販売も好調との事ですからhttp://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php