港が泣いてる・・・

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もう先月の半ばの話ですがこのたび45年間にわたり「マリンタワー」と「氷川丸」の

両施設の運営を本年の平成18年12月25日(月)をもち営業を終了する事となりました・・・

東京タワーは映画や新たに建て替えるとの事で有名な話しですがマリンタワーは

なんとマイナーなお話でちょっと話を取り上げられただけで静かに幕を下ろしてしまうのは

残念なのでネタにしました。

昭和36年創業以来「マリンタワー」に2526万人「氷川丸」に2261万人両施設合計4787万人の方々に

ご来場があったとの事ですが横浜のシンボルとして広く市民にとってはもう無くてはならない!

いや空気の様な存在!?でしたがそれが裏目に出たか?

みなとみらいの新たな展開で最近ではさびれ気味でありあの名高い「バンドホテル」も

今ではドンキホーテというのが現実であります。

私は物心が付いた時から横浜と言えばこの山下公園付近や元町が「THE横浜」であり居住区は

横浜市内の場合ほとんどは「下町」なので何処も雰囲気は一緒ですが

この山下公園付近は特別な場所であり子供の頃この山下公園付近の道はあの頃は珍しい

パーキングメーターアメリカっぽいですよね?)があり縦列駐車どころか

斜めに止めていた時代でしたから交通量少ないのどかなイイ時代でしたね。

しかし現在は駐停車禁止となっていると思います。(コレについては族対策か?)

ただ解体するワケでは無いので幸いであり今後は日本郵船(株)が後を引き継ぐとの事で一安心

今回の節目を迎えるにあたり「マリンタワー及び氷川丸」において

11月18日より12月25日までの期間中「45年間ありがとうキャンペーン」を開催しますので

お暇な方は最後のチャンスです!


※マリンタワーの歴史について触れておきますと。

横浜港開港100周年記念行事の一環として横浜市と民間有志の間で意義深いモニュメント創設の
発議がなされたのが昭和33年5月のことでこれが横浜海洋文化センターの建設計画として進展し
その具体化の一つとして横浜港や市内を一望に見渡せる展望塔をというプランとなったのです。
建設地は横浜が世界に誇る山下臨海公園という理想的な場所に決定され清水建設株式会社
石川島播磨重工業株式会社などの手によって展望塔の建設はすすめられ約13か月の工期を掛け
高さ106mの偉容を誇る横浜のシンボルが完成したのでした。

塔のデザインは横浜らしさを表現するために灯台の容姿を模して実際に正式の灯台の機能を
もたせこのため横浜港を行き来する船舶にとって心強い安航の明りが一つ増えた結果です。
この灯台は地上高としては世界で一番高く現在でもギネス世界一として掲載されております。
「マリンタワー」の名は昭和35年5月に神奈川県下の新聞を中心にペットネームの公募の
呼びかけに2,470名の市民から応募が寄せられ厳選の結果採用されたものです。

設計上の留意点として高さ106mの塔体は全体を10角形の網目状鉄骨を立体的に格子上に組み
塔の各部で受ける風圧等を計算した上台風や地震による横向きの力に十分耐える設計。
塔体の足元には円形の4階の建物を組み込み地下に円錐形の鉄筋コンクリート基礎を作り
これは地耐試験を繰り返しコンクリートの必要量を算出した上風によって塔が
浮き上がらないようにする為と塔の重さで足場が沈下しないよう工夫されたものです。
その後タワーの最上部の灯台室に水を利用して強風や地震の時の揺れを吸収する
「スーパースロッシングダンパー」を設置、より快適に展望を楽しむことができるように
平成元年には、ライトの位置や種類に細心の注意を払いながら
微妙な色彩とタワーならではのトラス構造を美しく演出するライトアップを開始し
横浜の夜のデートコースの名所となりました。

塔体◆鉄骨造り自立式10角構桁型
高さ◆106m
使用鉄骨量◆550t
使用鉄筋量◆350t
使用コンクリート◆11,000t
工期◆昭和34年12月18日~昭和36年1月14日(営業開始1月15日)
灯台位置◆東径139度39分14秒03、北緯35度26分26秒09
燭光数◆赤40万カンデラ、緑25万カンデラ
光達距離◆47km(25.3海里)
閃光間隔◆10秒毎に赤、緑各1閃光


※そして氷川丸も調べて見ましたが

当時の三菱横浜造船所において建造され1930年(昭和5)年4月25日に竣工ただちにシアトルに向け
処女航海の途につきました「氷川丸」の船名は、氷川神社(埼玉県)から授かったとの事。
本船には、最新の大型・高出力ディーゼルエンジンデンマークB&W社製)や当時未発効で
SOLAS(海上人命安全の為の国際条約)を先取りした水密区画構造が採用されました。
一等船室など船内の随所に1925年パリ万国博で発表されたばかりの
アール・デコ様式のインテリアも採用オーシャンライナー全盛期の優美な船型と
一流シェフの料理をはじめとする最高のサービスが相まって本船は当時は
「北太平洋の女王」と呼ばれたそうです。

1932年(昭和7年)には喜劇王チャーリー・チャップリン氏が1937年(昭和12年)には
英国皇帝ジョージ6世戴冠式に出席された秩父宮ご夫妻が横浜港まで乗船されました。
1941年(昭和16年)太平洋戦争勃発とともに本船は日本海軍に徴用され主として
南太平洋海域において病院船としての使命を果たし1945年終戦を迎えた後も
大勢の同胞を家族の待つ日本へ送り届けるため復員輸送に従事したとの事であります。
1953年(昭和28年)には、再び改装工事が行われ太平洋を横断する唯一の本格的客船として
シアトル航路に復帰母港横浜を出航しました。

このシアトル航路では戦後の日本復興においてアメリカとの交流を促進するために始められた
フルブライト交換留学生の方々が多数乗船されました。
また「宝塚歌劇団」が北アメリカやカナダ公演の為本船に乗船されたのも話題となったとの事。 
戦前、戦後を通じ北太平洋を238回横断し延べ25,000人余の乗客を運んだ氷川丸は
1960年(昭和35年)10月現役生活を引退し横浜市の「横浜港開港100周年記念事業」の一環として
1961年(昭和36年)生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留されました。
係留後は国際都市横浜を訪れる観光客の方々に当時の豪華客船の優雅な船旅気分を
味わっていただけるよう船内を現在に至るまで一般に公開しておりました。

総トン数◆12,000t
全長◆163.3m
船幅◆20.1m
主機関◆B&W(バーマイスター&ウェイン社)ディーゼル5,500馬力×2基
最高速力◆18.21ノット
ファーストクラス船客◆76名
ツーリストクラス船客◆69人
サードクラス船客◆186人
合計船客定員◆331人
乗務員◆126人


コレでヨコハマの二大景勝地が形式ながら節目を迎えるのですが再建策も期待したい所です。

私は大昔にこの列のシルクホテル(現シルクセンター)に小学校低学年の時に両親に連れられ

ディナーを戴いた過去の思い出がよみがえって来ましたがその雰囲気は今でも

ばんやり残っておりこの出来事もそれらと同じく過去の思い出の一つになって

自分の中で生き続けて行くのでしょう。

「いつでも行けるからいいや~」な~んて思っているスポットが皆さんにあるならば是非!是非!

行けるウチに訪ねるのも大事だと今回ばかりは私はちょっと後悔しているので

皆さんも「行ける時に行く!会えるときに会う!」ということも必要かも知れませんよ?

チャンスやタイミングを逃し二度と出来ずに後悔する事って大人になるとあるじゃないですか・・・
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php