世界初

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ライダーなら一度は見た事はありますよね?このオイルの点検窓
実はこのオイルの点検窓はカワサキ900Super4が世界初とはご存じしょうか?

このバイク以前は潤滑方式が(ドライサンプ/乾式)なので異なるけど
お車のオイル交換をご自分でなさって最後にオイル量を確認する場合

ゲージを一度抜き色艶粘度を確認後拭いて再度差し込みまた抜くと
ゲージ(棒)に付着した量でレベルを確認しますが

現在特殊な使用や用途以外は潤滑方式が(ウエットサンプ/湿式)なので
この点検窓を設ける事でオイル量とオイルの汚れ(色)の状態が一度で
解る非常に便利な機構ですね。

但しフルカウル車はカウルでこの部分は覆われているハズなので
ほとんどの車種は付いてませんよね?

川崎重工業もこのバイクに採用した点検窓に特許を取らずに
野放しにしてしまい後に世界中のバイクメーカーののほとんどの車種に
採用され後にカワサキの開発者の方々のトークが昔の紙面に出ていましたが

「これを特許を取っていたら・・・かなり儲けたんとちゃうか?」と
カワサキ900Super4は「量産車世界初のDOHC」とか
「当時の世界最速車」等のイメージも確かに強いですが
こんな部分でも当時は小技が効いた斬新なバイクでもあったのです。

また開発当時は川崎重工業の2輪部門の業績不振で
「これでダメならバイク事業撤退か?」と背水の陣で挑んだ背景があり
当初の4気筒車計画も'1969にホンダドリームCB750Fourに先行発売され

急遽エンジンをDOHC903CCへ変更したら
お次は国家権力で当時の運輸省(現国土交通省)に
「そんな大きい排気量を造るな!アメリカ(ハーレーダビッドソン)に気を遣え!」と
圧力をかけられながらも反発し

'1972誕生したこのバイクには色々な意気込みと背水の陣に追い込まれた
造り手の底力をフルに出し尽くしたバイクであり
「900SuperFourが売れなければ後が無いので持っている技術は全部出して
悔いの無い様に」と出し惜しみ無く投入したのだと思うと同時に

900Super4の世界中でヒットした事実を語らずして
今のカワサキバイク史はあり得ないのであります。

そして翌年の昭和48年に国内自主規制ながら単純なボアダウンではなく
ボア/ストロークを専用設計し発売した750RSも国内大ヒットを飛ばし
ライダーのハートを鷲づかみにした事は言うまでもありません。

※画像のバイクは'75製Z1-Bですがこの部分は900Super4と共通です。