二人に光り輝く未来は見えたのだろうか?

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この写真は若かりし頃の 私の伯父と伯母で

伯父が大昔にメグロのセールスマンをしていた当時の一枚であります。

たぶん?昭和30年位だと思われますが

納車前に一枚、ご夫婦で記念に撮った物だそうです。

伯母は残念ながら五月の叔父の死に続き

先日、90歳を超えた まさに大往生でありました。

古いアルバムを従兄から見せてもらい 感慨深いこの写真が目に留まりました。

この時、お二人に光り輝く未来は見えたのだろうか?と

回想すると?戦後10年、この国がまだ敗戦の傷の癒えない時代であり

国道だってあちらこちらで舗装と砂利道のまだら状態

当然、高速道路やマイカーもありません。

もちろんサーキットも河川敷に丸く描いた多摩川スピードウェイのみで

この頃は浅間火山レースが始まったばかりの時代

後の本格的な舗装路コースは鈴鹿が昭和37年

富士も40年に入ってから出来たものである。

建築物も超高層ビルは無く、スカイツリーどころか東京タワーも建設前だ

住宅事情もアルミサッシに水洗トイレの家だってまだ珍しく

公団住宅が建て始められて当時の最新建築であった。

全ては東京オリンピック開催の昭和39年まではこの国は貧しい国であって

高級オートバイは庶民には手が出ないとても高価な乗り物であったのです。

歳月が流れ、時代は21世紀 物は溢れているが夢や希望が薄い国になってしまい

今、人々にとってこの国が幸せな世の中になっているのか?

昭和の時代より心豊かな国に発展しているのか?と

少なくとも約60年前の若い二人には夢や希望が未来に満ち溢れていたのだろう

お金や物の豊かさだけで無い何かを持っていたはずです。

ただ、ここに来るまでに大きな山坂はあったらしいですが

伯母にとって「いい人生だった」と締めくくり 故人を今、偲んでおります

後の事はみんなに任せて 安らかに眠ってください と。